で、俺は初回の海岸清掃の仕事終了後、え~と、その時期は、たしか海岸清掃が七月か八月か、或いは六月から始まって、年末までやって、その時にまだゴミがあるからと、延長の話が来たので延長した。で、翌年の一月頃までやったのかな?
忘れたが。翌年の二月頃迄かな?で、延長契約もこなして、無職になった。で、その後に、この除染の会社に行ったのか?
う~ンと、いや、違うかな。本来は別の除染の会社に行く予定だったのだ。
え~と、ああ、そうだ、何となく思い出した。初めての海岸清掃の仕事が延長になって翌年二月頃までやった。
で、その後、東京都に本社がある何とかという名前の企業が募集していた除染作業員の仕事に応募したんだった。
だが、何かと理由をつけて派遣されなかった。採用というか、とりあえず人員は確保しておくか、みたいな感じだったんだ。でも派遣先はなかったと。空きが出たら直ぐに派遣できる人員を、とりあえず確保だけしておく、みたいな悪徳企業だったな。
まあ、分かるでしょ?日本の会社は、まあ、労働者のことなんて微塵も考えていないしな。
で、別の大阪の会社が募集していた原発作業員の募集にも応募して採用されたが、なぜか派遣される前に、その会社が消滅みたいな感じになって消えた。連絡が途絶えた。まあ、霊的な存在が俺をそこに派遣させたくなかったんだろうな。もしも現地に行っていたら、原発の敷地内で瓦礫とかの撤去作業をしてたんではなかろうか?まあ、今思えば、たかが少しばかり高い日当を貰えるからといって、そんなことやらなくて良かったか。
で、別の除染の作業員募集の案内を見たら、割とすんなりと採用された。で、今回は待機期間もそれほどなく、割と直ぐに現地に行った。
なので、海岸清掃の延長を二月頃までこなした後、無職期間中にjisatsudame.comという私の事業の中核を成すサイト制作をして、翌年二月頃に完成したタイミングで、この除染の会社に採用されて、で、福島県に行った、という形です。まあ、なので、最初の除染会社とか、大阪の原発作業員の会社とかに採用されなくて、結果的に良かったのか。何よりも自殺ダメのサイトの完成が優先されたからな。なので、まあ、自殺ダメの製作に、無職でかかりっきりで約1年を要した。
まあ、詳しくは別項目の私の人生について記したコーナーに記述する。ここはあくまでも除染作業員として働いた時の給料明細を晒すコーナーだからな。
まあ、今回は除染作業員ということで、除染に関する書類や通帳も晒す。まあ、あの頃は厳密に放射線量を管理していた。今は知らないが。
まあ、俺が派遣されたのは福島県の楢葉町という放射線量か極めて低い地域だった。まあ、本来はそんな本格的に除染なんてしなくていいレベルの地域だったと思うが。でも、まあ、神経質というか、日本人の性質は分かるでしょ?物凄く汚いガンジス川で平気で沐浴をしてしまうインド人なら「まあ、いいか」で済むレベルでも、日本人なら徹底的にしなければ気が済まないという。
で、住んでいた寮があるのは福島県のいわき市でした。楢葉町は避難指示が出ていたので住民はいなかったが、いわき市は普通に人が住んでいた。なので、まあ、除染作業員といっても、ほぼ何の被爆もしてません。つーか、放射能といっても、ブラジルとか中国とかのどこかの街なんて、普通に自然の放射線量がかなり高い地域もあるらしいが、普通に人々が連綿と生活しているからな。
まあ、放射能というのは、極めて高い数値を浴びるとヤバイが、まあ、極めて低い数値なら、浴びても、特に問題はないと思う。事実、俺は約五カ月間いわき市にいて、楢葉町に仕事に行っていたが、12年位経過した今でも、特に何の大病にもなっていないからな。
まあ、ということで、放射線管理手帳も含めて、色々な書類と給料明細も晒していく。

え~と、これは仕事を始める前と退職時に測定したのかな?よく分からないが、放射線管理手帳の中の項目だ。
健康診断のバスがあるでしょ?集団検診の時にやってくる検査機器を積んだバスが。ああいうバスが来ていて、放射線量を測定した。理論はよく分からないが。

まあ、被爆も何も、そもそも放射線量が極めて低い地域にしか滞在していなかったからな。

え~と、平成25年の2月12日から仕事を始めて、平成25年の6月1日に退職したのか。
まあ、といっても、2月12日はJヴィレッジという楢葉町にある場所で登録作業だけした。で、ガラスバッジというのが出来上がるまで約一か月の待期期間があった。故に仕事開始日は多分3月半ばからだな。
そこから五月半ばまで仕事をした。で、6月1日の退職時にバスで放射線量を検査して、終了という流れだ。

これが俺の放射線管理手帳だ。

福島県に居た時は、床屋ってどこに行っていたかな?全く覚えていない。一か月半に一回位の頻度で散髪していたと思うが。全く記憶にない。休日にいわき市に行って、そこで散髪したのかな?

透明なカバーもあったので、まるで銀行の通帳のようだ。

まあ、よく分からない。

つーか、問題はない。

あの頃は放射能、放射能といって、マスコミもテレビも有名芸能人も物凄く騒いでいたよな。

つーか、今後、俺が大病になったとしても、それはこの時に浴びた放射能が原因ではなく、単なる加齢や、運動不足や、体に悪いポテチとかを食べたせいであろう。

封筒の裏面。

これが私の自宅に送られてきた、んだと思う。

こんなのが入っていた。

これ、給料明細で、物凄く給料が高いと思うだろう?
でも、違うから。まず、厚生年金は未加入だし、健康保険も未加入だから。
で、たしか一日の日当は15500円だったと思う。だが出勤した日に限り、一日5000円を寮費として納めていた。なので、まあ、一日働いての手取りは10500円だった。まあ、そこから所得税と雇用保険料は抜かれるが。
なので、今から考えれば、実家を離れてわざわざ福島県まで行って、それで一日働いて10500円の収入なんだよな。
だったら、海岸清掃の臨時作業員は日当10000円だったし、他の仕事でも頑張れば日当10000円位稼げた筈なのにな。そう考えると、なんでわざわざ福島県まで行く必要があった?実家に住みつつ、実家の周辺の仕事で稼いだ方が良かったのでは?というバカげた話ですよ。
まあ、だが、貴重な経験が出来たと思えば、まあ、いいか。

てか、この基本給が115000円で特殊勤務手当が200000円というのもよく分からない。
まあ、日本企業が頻繁に使う[費用を節約する呪文]なんでしょうな。

え~と、一枚目の給料明細が四月分なのか。で、二枚目の給料明細が三月分か。で、この三枚目の給料明細が六月分か。まあ、6月1日には退職済みなので、これは実質、5月分の労働の給料明細か。五月半ばに退職したから、出勤日数が15.5日なのか。この0.5という半日分は、う~ん、多分、最後の日の放射線測定のバスでの検診の分なのかな?
え~とね、二月半ばに福島県に到着して、そこからJヴィレッジでガラスバッジを作る登録をして、そこから一カ月間はガラスバッジが出来上がる迄の待期期間だった。で、三月半ばから働き始めた。なので三月分は中途半端な日数だった。で、四月はフルで働いた。で、五月は中途半端な日数だった。
ということは、え~と、二か月ちょっとしか働かなかったのかな?いや、三カ月分位か?そんなものか。
まあ、給料明細のデザインが変化していたが、理由は知らない。

これは建退共とかいうのだ。よく分からないや。

てか、本格的な建設作業員じゃねーのに。単なる誰でも出来る除染作業員なのに。こんなのに加入しても、その後は何もないんだから、意味ないだろ。

10年以上経過した今も、特に何もない。

俺には関係ない。

という訳で、除染作業員の書類や給料明細はこれで終了。
まあ、放射線量が物凄く低い地域にいただけなので、被爆で病気になる心配はないな。
今後俺が重病になったとしたら、それは俺の不摂生と加齢が原因であろう。
別に放射能のせいにはしないよ。
