という訳で、約七年分の給料明細は膨大だった。
まあ、この他の仕事でも、例えばごく短期間、厚木市の警備員の仕事とかしていたんだが、その時の給料明細は発見できなかった。
几帳面な俺でも、保管しておいた給料明細もあれば、保管していなかった給料明細もあるようだ。
まあ、仕方がない。過去を振り返っても仕方がない。俺にはまだまだ寿命はあるだろうからな。
だって占い師から、手相診断で、あなたは長生きしますと言われたからな。


















まあ、この12月16日から翌年1月15日迄の勤務日がたったの四日しかないのは、こういうことだ。
厚木市の中依知の現場が12月末というか、12月の20日かそこらで終わった。故に、この4日間は、12月16日からの12月中の残りの労働日数だった。
で、それから約一か月間は待機期間だった。で、次に、え~と、どこだっけ?伊勢原の外れの方だっけ?そこに派遣された。というか、もう12月末で辞める予定だったのだが、社長が人員の引継ぎでどうしてもあと数か月、三月末頃までしてくれ、と頼んできたので、まあ、その位の延長ならと、仕事をした。

この慰労金の10万円は、俺が長年働いてきたので、本来はボーナスなんて支払う必要はないのだが、社長が特別に払ってくれたものだ。
まあ、バイトの身分だったからな。まあ、厚生年金も健康保険も何もなかった身だったがな。
まあ、でも、俺は自死しておらず、今もこうして生きているか。俺よりも遥かに立派な経歴のエリートが、少しの挫折で自死してしまう様子を見ていると、本当に人間って精神次第なんだなぁ、と思う次第であります。
昔、自民党の現役の農林水産大臣の松岡利勝が、62歳位で議員宿舎で自死をした。何とか還元水という不正な金の流れで追い詰められていたんだろうな。
う~ん、でも、別に人を殺した訳でもないんだから、執行猶予が付くだろ。議員辞職すればよかっただけじゃねーの?仮に実刑判決を受けたとしても、ごく短期間、服役すれば出て来れるだろ。まあ、何とか還元水で不正に得た金は返金する必要があるが、それも財産を売り払えば足りたんじゃねーの?
まあ、要するに、エリートとしての自負心、プライドが、服役する自分、犯罪者として裁かれる自分を、自分自身で許せなかったんだろうな。
俺は犯罪行為はしてこなかったし、今後もする予定はないが、仮に俺が半年間くらい服役することになったら、「う~ん、まあ、いいか。半年位、余裕で耐える自信あるし~」なんて言って、けっこう前向きに服役に向かうと思うけどな。
だって、事実、耐える自信あるからな。ずっと底辺で暮らしてきた自分なら、今迄刑務所に入ったことはないが、刑務所の暮らしに耐える自信はある。まあ、積極的に入りたくはないがね。
つーか、STAP細胞騒動で、笠井芳樹氏は理研の超エリートだったのに、精神力の防御壁が弱かったから、自死を選択してしまった。別に刑務所に行くルートでもない、部下の不祥事なのにな。
今迄掛けてきた厚生年金が全て無駄になったな。頭脳は超エリートのくせに、人生の最期にやっていることは知能の低い俺未満だな。厚生年金を長年掛けていない俺よりも、厚生年金を長年ずっと掛け続けてきた超エリートが自死を選ぶなんて、やっぱり人間、精神力次第ですな。
まあ、俺は国民年金はずっと掛けているが。
なんかさ、俺が仮に今後有名人になったとして、色々なことで糾弾される身になったとしよう。俺、絶対に自死は選ばない自信があるからな。そりゃ、俺に対して拷問を加えれば、俺はその苦しみから脱する為に自死を選択するかもしれないが、それは当たり前だからな。人間、そんな極限の肉体的な痛みを加えられれば、その苦しみから逃れたいと思って自死を選ぶのは、それは仕方がないからだ。
でも精神的な責め苦なら、俺、別に自死を選択はしないと思うよ。だって、ずっと社会の底辺だったんだからな。ずっと不安定な立ち位置だったんだからな。故に、精神的に責められた程度で、俺は自死しない。割と平気だよな。
逆に開き直っちゃうよな。ダークナイトのジョーカーみたいに、「え?俺、最低の人間ですけど、何か?」みたいにな。
なので精神攻撃は、社会的体裁を保つのに躍起になる立場の人相手じゃないと、そもそも通用しない。無敵の人相手だと、そもそも精神的な攻撃は無効だから。

まあ、この頃は既に日当7700円になっていたのか。
でも、しょぼい金額だよな。まあ、しょうがないか。サイト制作の基礎的な部分はこの遺跡発掘作業員として働いていた期間中に出来上がったからな。
確かに、あまり疲れないこの仕事をしていたお陰で、何とか休日も思いっきりサイト制作に集中出来たからな。
日産車体の時の、あのバンパーを手作業で高速で拭く仕事みたいな激務だったら、疲れ果てて土日祝も雨天中止の日も作業員が休みの毎月16日も、サイト制作を続行することは不可能であったろう。
故に、貰える給料のみ考えるよりも、その仕事の疲れが休日にも尾を引くのかどうか、まで考えて仕事選びをした方が良いよな。


まあ、んで、3月末までやった。
3月末といっても、まあ、多分、3月22日辺りまでか。で、新しい人員が来ることになったので、退職希望だった俺と入れ替わったという訳だ。
で、漸く、長い長い七年間位の遺跡発掘の作業員としての仕事が終わった。
まあ、なあ。厚生年金が掛かる仕事に就いていた方が良かった、という意見もあるよなあ。まあ、でも、どーでもいいか。俺にとっては、サイト制作が第一主義だからな。
つーことで、以下に、この仕事で受け取った源泉徴収票があるから、載せておく。
全ての年の源泉徴収票は無い。最初の頃の年の源泉徴収票は、確定申告時に平塚の確定申告会場に行き、そこで現物を添付書類として提出してしまっていたからな。
後にスマホから自分だけの力で確定申告するようにした。何とか出来た。

まあ、令和三年分の源泉徴収票は、まあ、探せばあると思うが。まあ、いいや。面倒だから。
つーか、年収が156万円しかなかった。年収200万円時代という本を森永卓郎が出版していたと思うが、年収200万円さえも遠い壁だな。

これは、なんか還付された金額だ。よく分からないが。

これは令和4年の源泉徴収票だ。やはり154万円程度か。
ああ、なんだかなあ。
早くサイト経由で大金を稼ぎたいものだ。
やっはり俺は誰かに雇われるという形での仕事では、本領発揮できない。
まあ、独力でも、未だに本領発揮出来てはいないが。
しかし、必ず俺の人生は、俺自身の手で満開の桜を咲かせて魅せるさ!
